損得を基準にすれば意思決定のスピードは上げやすい
正しい経営判断や決断をしたいと誰もが思いますが、それにこだわるあまりスピードが失われることも避けたいというジレンマがあります。
特に、変化のスピードが速くなる一方の今の時代では、「時は金なり、正しさに拘るより、決定に至るスピードが大切だ」という考え方が主流になりつつあります。
手持ちの不完全な情報のみで構わないから、とりあえずの仮説を立てて、あとは実地で検証しながら軌道修正を図っていけば良い。
平たく言い替えると、「四の五の言ってないで、さっさと行動しろ!」ということになります。
なるほど、その通りです。ただし、一つ注意をしなければならないことがあります。
スピーディーに決定することは大賛成ですが、決定の「基準」として何を採用しているのかが問題になります。
ある社長が、こんなことを言っていました。
ビジネスは遊びではないんだから、儲かるか儲からないかという一点で判断をしていく割り切りが必要だろう。
その腹決めをしていないから、優柔不断になるんだよ。
この社長が指摘したことは、半分は当たっています。
それは、「普遍的な基準を持つことが、意思決定のスピードを上げる」という点です。
当たっていない半分は、その普遍的な基準が「儲かるか儲からないか」では、スピードは上がることはあっても、判断ミスは防げないという点です。
でも現実は、意思決定に関わる思考の負荷から逃れるために、安易に決定基準を「損得」に求める経営者が多いのです。
ただし、倫理的な意味で「損得」を基準に判断をするのは適切でないという話がしたいのではありません。
「損得」の判断は簡単だと考えている人が多いのですが、実は難しいことに気付いていないリスクを指摘したいのです。
損得の判断が難しいことを示す企業買収事例
確かに、同じ品物を1000円で買うか2000円で買うかというレベルでは、損得を基準にした判断は簡単に出来ます。
ところが、経営における重要かつ複雑な判断は、損得を物差しにしたところで一筋縄ではいかないのです。
買収方法は、Y社の株式を現金で100%買い付ける方針である。
Y社の価値は、現在進行中である技術開発の結果に左右される。
もし技術開発に失敗すると、Y社の企業価値はゼロになる。この場合、Y社の1株当たりの価値は0円である。
一方で、技術開発に成功すると、Y社の企業価値は最大で1株当たり10,000円になることが見込まれている。
つまり、Y社の1株当たりの企業価値は0円から10,000円の間の何れかになるが、どの価格になる可能性も現状ではすべて等しいと見積もられている。
またY社は同族企業で、経営陣を親族で固めているため、経営能力においては見劣りするところがある。
そのため、Y社がX社の傘下に入れば、企業価値は5割上がると見積もられている。
これら2つの情報をまとめると、もしY社が技術開発に失敗すれば、現経営陣のままかX社の傘下に入るかに関わらず、1株当たりの企業価値は0円である。
一方で、技術開発に成功して、現経営陣のもとで仮に1株当たりの企業価値が5,000円になった場合、X社の傘下に入ることでY社の1株当たりの企業価値は5割増しの7,500円になる。
同様に、Y社の企業価値が、現在1株当たり10,000円ならば、X社の傘下に入ることで15,000円になる。
あなたは、自社の取締役会でY社へ提示する買収金額を今すぐ決めなければならない。
しかし、Y社の技術開発の結果はまだ出ていない。
どうやらY社の株主は回答を引き延ばし、技術開発の結果が判明してから、その情報が報道機関へ伝わる間にX社のオファーを受け入れるか拒否するかを決定するつもりのようである。
つまり、X社は技術開発の結果を知らないうちに買収価格を提示するが、Y社の株主は技術開発の結果を確認してから、そのオファーを受諾するか却下するかを決めることになる。
なお、Y社の株主は買収によって1株当たりの価値が現経営陣のもとでの価値より高くなるならば、X社の申込みを受けたいと考えている。
X社の代表として、あなたは1株当たりの買収価格を0円(=買収をしない)から15,000円の間で思案中です。
では、損得を考慮すると、いくらの買収金額を提示することが最も合理的でしょうか。
この事例における典型的な思考プロセスは、以下のようなものです。
Y社の株主にとって、自社の企業価値は平均的に5,000円であるが、買い手側のX社にとっては50%増しの7,500円の価値である。
したがって、この2つの価格の間で買収が行われるなら、双方に利益がもたらされる。
結論を言うと、この考え方は間違いです。合理的な買収金額は0円です。
その理由はこうなります。
仮に、X社が6,000円の価格を提示したとします。
ここで「Y社の1株当たりの企業価値は0円から10,000円の間の何れかになるが、どの価格になる可能性も現状ではすべて等しいと見積もられている」という条件を思い出しましょう。
すると、Y社は自社価値が0円から6,000円の間にある場合に、そのオファーを受けるのだから、X社のオファーが受け入れられる確率は60%です。
裏を返すと、Y社の価値が1株当たり6,001円以上の場合は、40%の確率でオファーそのものが拒否されることになります。
この条件は、X社が得られる期待値にも影響します。
X社が6,000円の提示をしても、Y社の企業価値は0円から6,000円の間の各価格の確率は等しいため、実際にはY社の価値の平均額は3,000円になります。
X社が買収した後に、Y社の企業価値は50%増えて1株あたり4,500円になりますが、これでは、1株あたり1,500円の損失になります。
したがって、1株6,000円のオファーは合理的ではありません。
同様に、どんな金額でオファーをしても同じ論理が成り立ちます。
つまり、オファーがY社に受け入れられた場合は、企業価値は平均して買収金額の25%減に留まるのです。
X社の買収提示価格:P
Y社の企業価値の期待値:0.5P
X社が買収後のY社の企業価値:0.5P×1.5=0.75P
ということは、どんな金額でX社が買収を申し入れても、Y社が受け入れた場合には、X社は投資した金額の75%の価値しか得られないことになります。
この事例の最善の選択肢は、買収のオファー自体をしないことなのです。
買い手は常に売り手にいっぱい食わされたと疑う「勝者の呪い」
数式の意味を理解することが難しい人もいるかもしれませんが、重要なことは、このような計算プロセスを理解することではありません。こんな計算方法より、理解すべきもっと大切なことがあります。
そもそも、企業買収において、被買収企業が買い手企業のオファーを受ける理由は、実際にはその価格に見合う価値がないからだという簡単な原理原則を無視してはいけません。
東南アジアなどを旅行しているときに、露店で見かけた宝石や彫刻などを気に入って、店主と価格交渉をしたことがある人もいるでしょう。
最初に相手が提示した価格に対して、探りを入れるためにダメ元で50%ディスカウントの要求をしたら、すんなり受け入れられて購入に至った。
この場合、「ラッキー」と思うよりも、店主が素早く応じたことに不安を抱いて、実は一杯食わされたのではないかと感じるはずです。
この感覚は「勝者の呪い」として知られています。
人間は、自分の意志決定には注意を向けていても、他人の意思決定に対して無頓着だという傾向があります。
特に交渉においては、自分の考えと行動で頭が一杯になって、自分が加わっている「ゲーム」のルールと交渉相手の意思決定を見落としてしまいます。
しかし、例外的にそうした人間の癖をよく知っている人がいて、かつて「私ほどの女が好きになる男は、私のような女を好きにならない」と語る女性がいました。
私ほどのイイ女が好きになるような男はイイ男に違いないが、そのようなイイ男は決して私のような女を好きにならないという意味です。
一見すると自己矛盾していますが、相手の意思決定に配慮して自らの意思決定をしているという意味で、至極名言だと思います。
かつてグルーチョ・マルクスが語った「私を入れたがるようなクラブには入りたくない」に通じるものがあります。
このように交渉という状況に現れる「勝者の呪い」の重要な特徴は、交渉当事者の一方である売り手が、買い手よりも多くの情報を持っていることにあります。
東南アジアの露天商は、売ろうとしている品物の価値が、あなたの提示価格よりも低いときのみオファーを受け入れるのです。
日常生活においても、ヤフオクのようなオークションでの落札価格は、たいていその商品の実の価値を上回っているのも同じ理由です。
損得だけを基準にしていると行き詰まる経営決断
優柔不断を排し決断力を上げるために、損得を唯一の基準として経営上の決断を行う社長はたくさんいます。
しかし、ここまでの話で明らかなように、損得による意思決定の世界も、突き詰めれば一筋縄ではいきません。
企業買収の事例においては複雑性が重要な情報の無視という問題を引き起こし、「勝者の呪い」においてはそもそも売り買いとは損をする可能性があることを示しています。
また、損得だけにこだわると、目先の損を嫌うために大きな変化を伴う選択に対する抵抗感が強くなるという別の問題を引き起こします。
「この商品100個を1,000円で仕入れて、あの会社へ1,200円で売れば、20,000円儲かる」というレベルの損得は容易に見通せます。
しかし「この事業は今のところ黒字を維持しているが、自社らしさをもっと生かし顧客提供価値をさらに引き上げる新しいビジネスモデルに切り替えよう」というレベルの損得は、ソロバン勘定だけで見通せるものではありません。
でも損得を超えた事業への「こだわり」を社長が持っていれば、決断に迷うことは少なくなります。
なぜなら、損得の結果は見通せませんが、こだわりに合致した選択かどうかというプロセスは判別可能だからです。
でも、会社案内にどれほど素晴らしい企業理念やバリューやミッションが唱われていても、社長自身が仕事に惚れ込んでいなければ、損得以外の基準を持ってないのも同然です。
仕事に惚れ込んでいるとは、ビジネスモデルに自信があるとか、市場環境の将来性を見込んでいるという意味ではありません。
事業そのものに「収益を超えた価値」を感じているのかどうか、そしてその仕事が心から好きかどうか、という意味においてです。
現実主義者として、儲かるか儲からないかを前面に押し出して経営上の決断を下している経営者の方は、本当の損得が判断出来ていたのかどうか、今後ともその基準一本で行くべきかどうか、あらためて見直してみてはいかがでしょうか。