プロ彼女とは?
2018年頃、プロ彼女という言葉が出回りました。TV番組内でコラムニスト能町みね子さんがロンブー田村淳さんの結婚相手をこう評したことが始まりのようです。
有名人のみと付き合う、一般女性という名の「プロ彼女」
このとき能町さんは、強いアイロニー(皮肉)を込めて、プロ彼女という表現をしたことが分かります。
ところがその後、俳優西島秀俊さんの結婚報道をきっかけに、プロ彼女とは「(有名人と付き合う)『完璧な』彼女」という意味合いに変化していきました。
かつて西島さんは「1カ月半会話なしでも我慢すること」などを含む「厳し過ぎる結婚の7条件」を表明していました。
それゆえ、「西島さんの条件に合致する女性が存在した」という意味で、彼の結婚は驚きをもって受け止められ、お相手がプロ彼女ではないかと話題になりました。
このとき、この話題を取り上げた『女性自身』(光文社)は、プロ彼女という言葉からアイロニーを消し去り、別の意味にすり替えました。
プロ彼女とは、“非の打ち所がない彼女”のこと。容姿端麗で性格も完璧。
芸能人と交際してもブログで明かさず、陰ながら支えてカレの株を上げてくれる一般人女性だ。
実際、2人の交際は2年以上もバレることがなかった。
そして、ついに女性ファッション誌『ViVi』(講談社)が掲載した「なれるものなら“プロ彼女”!!」という4ページのモノクロ記事が組まれるまでになりました。
記事ではフツウの彼女とプロ彼女の二項対立の構図を描き、その違いがどこにあるかを、17の実例を交えてホイチョイプロダクション的に紹介しています。
たとえば、ファッションやメイクでは、フツウの彼女が「トレンド最優先のおしゃれ・ファッション」に対し、プロ彼女は「男ウケするコンサバきれいめ」といった具合に。
彼が料理にダメ出ししたときは、フツウの彼女は「『自分で作れ!』とキレる」のに対し、プロ彼女は「即謝って作りなおす」のだそうです。
ここに至って、プロ彼女の意味は、単に「(誰にとっても)『完璧な』彼女」にまで大衆化したのです。
プロ経営者とは?
プロ彼女が話題になる少し前から、マスメディアでプロ経営者でという言葉が頻出するようになりました。プロ彼女という言葉の出現の背景には、プロ経営者という言葉があるのかもしれません。
例えば、2014年7月日本経済新聞にて『(迫真)「プロ経営者」の戦い』というルポルタージュ記事が5回掲載されています。
この記事の中で、つぎの5名の方が取り上げられています。
- 新浪剛史氏(サントリーCOO)
- 魚谷雅彦氏(資生堂CEO)
- 原田泳幸氏(ベネッセCEO)
- 藤森義明氏(LIXIL・CEO)
- クリストフ・ウェバー氏(武田薬品COO)
どういう基準でこれら5名の方をプロ経営者として取り上げたのか、プロ経営者の定義が気になります。
しかし、メディアで取り上げられているプロ経営者の記事を読んでみると、どうもこの定義の部分が曖昧模糊としたままです。
論理学的に言うと、外延は断片的に語られていますが、内包の部分がからっきし弱いのです。(⇒内包と外延 by Wikipedia)
外延的定義を寄せ集めてみると、こんな感じでしょうか。
- 有名企業での豊富な経営経験
- 内部昇格ではなく外部招聘
- 座学で経営を学んだ経歴(例えばMBAホルダー)
多少なりとも内包的な定義を探ってみると、ハーバード・ビジネス・レビューの2014年11月の記事『プロ経営者の時代 第1回「経営」のできる経営者はなぜ少ないのか』があります。
この記事が言いたいことは、経営者本来の仕事ができる人材が少なく、「プロ経営者と呼ばれる人が『キチンと経営をしている』ために」価値があるとのこと。
そして、経営者本来の仕事とは、何のことはない、ドラッカー先生の『マネジメント[エッセンシャル版]』(ダイヤモンド社 2001年)から引用しているに過ぎません。
ちなみに、ドラッカー先生が教示している経営トップの仕事は、つぎの5つです。
- 重要な外部を定義する。「顧客は誰か?」「顧客の価値とは何か?」を問い続けること。
- 「我々の事業は何か? 何であるべきか?」を繰り返し自問自答する。
- 組織を作り上げ維持する。組織の精神、価値観や基準を決め、次のトップを育成する。
- 現在の利益と未来の投資のバランスを図る。
- 対外的に組織を代表し、重大な危機に際しては自ら出動する。
頭の良い人達が後付けで色々理屈を付けていますが、プロ彼女さながら、単に「完璧な経営者」という淡い意味でプロ経営者という言葉を使っているのが、実際のところではないでしょうか。
そんな者いるはずがないけど、見たという人がいるから完全に否定することが出来ない幽霊のような存在と言うこともできます。
そもそもプロとは何を意味するのか?
幽霊がいるかどうかはともかくとして、なぜ怪談話が好まれるのかを考えることは無駄ではありません。
同じような時期に流行っているプロ彼女とプロ経営者という言葉の外形的な共通点は、接頭語としてプロが付いているところです。
これをたまたま偶然で片付けずに、何か理由があるのではないかと考えてみると、「そもそもプロとはなにか」という問いに行き着きます。
プロフェッショナル (英:Professional)、略して「プロ」は、本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることを言い、「公言する、標榜する」が語源である。
対義語はアマチュア (英:Amature)。類義語にエキスパート (熟練していること 英:Expert、対義語は 英:Inexpert )、スペシャリスト(特化していること 英:Specialist、対義語は 英:Generalist )がある。
しかし、日本語としての「プロ」という言葉には、派生として以下の意味が含まれる。
- ある分野について、専門的知識・技術を有していること、あるいは専門家のこと。
- そのことに対して厳しい姿勢で臨み、かつ、第三者がそれを認める行為を実行している人。
- ヤクザを意味する隠語。
- 複数のグレードがある場合、比較的上位バージョンにつけられる。
出典:Wikipedia
簡単明瞭に言い表せば、プロとはその分野で生計を立てる(報酬を得る)人を称する接頭語ということになります。
つまりプロには、明確な見返り・報酬があるのです。
そうなると、人の行動動機は愛とか夢とか信念などの浪花節ではなく、即物的な見返りこそが重要だ、という随分パサパサした話に共感する人が多いということになります。
プロ彼女への見返り、それは、いやらしい言い方をすれば「ハイスペック男性をGETする」こと。
ではプロ経営者への見返りははなんでしょうか。
それは、プロ彼女よりもっと単純明快で金そのものです。
プロ経営として名高い原田泳幸氏は、マクドナルド時代に毎期3億円以上の報酬を得ていましたが、業績不振にスライドする形で役員報酬が減額され続け、最終的には1億6900万円の役員報酬となりました。
それでも、退職に伴う慰労金が1億7000万円が支払われたこと、その他に別途積み立てられた退職慰労金があることが報じられていました。
その後、ベネッセへ転じた原田氏の役員報酬額も2億円を超えていたとのことです。
2021年に暴行容疑で逮捕され代表取締役会長兼社長兼CEOを辞任するまで、2019年以降ゴンチャジャパンでどれほど役員報酬を得ていたかは分かりません。
他人の財布の中身を詮索するような下品な話になってしまいましたが、プロ経営者の見返りとはズバリ金であるという証左を示したかっただけです。
しかし考えるべきは、「プロ彼女がイイ女をを演じ、見返りとしてハイスペック男性をモノにする姿が打算的かどうか」とか、「プロ経営者が高額な金を見返りとして渡り鳥のように経営を行うスタイルがけしからんかどうか」ではありません。
需要と供給の関係において供給側の言動は、その立場ゆえに意図的なシグナリングが行われるために目に付きやすいものです。
だから、良いとか悪いとか評価の対象になりやすいので、世間話に花を咲かせる目的ならば供給側に着目するのも悪くありません。
しかしより深い洞察を行いたいならば、俯瞰的に事象を捉えるべきです。
プロ彼女にしろプロ経営者にしろ、「需要があるから供給が行われた」と考えるならば、「ハイスペックな男性がなぜプロ彼女を求めるのか」あるいは「株主側あるいは企業自身が、高額を支払ってプロ経営者から何を買いたいのか」という視点を外すわけにはいきません。
プロ彼女が求められる背景とは
プロ彼女とプロ経営者とは何かを、それらを求めるサイドの立場で考え、輪郭を明らかにしようとすると、ある共通点があることに気付きます。
それは、人間を性能や効率による評価というフィルターで見ているということです。
俳優 西島秀俊氏の結婚の7条件とはこういう内容です。
- 仕事のワガママは許すこと
- 映画鑑賞についてこない
- 目標を持ち一生懸命な女性
- ”いつも一緒”を求めない
- 女の心理の理解を求めない
- メール返信がなくてもOK
- 1カ月半会話なしでも我慢すること
この7条件を見る限り、生身の人間としての女性像は全く見えてきません。電化製品の仕様書のようなものです。
そして、この7つの条件を提示する男性の心理とは、「別に結婚をしたいわけではない」がベースでしょう。
だから、結婚によるプラスの変化に対する期待感は薄いが、少なくとも結婚によるデメリットだけは避けたい。
女性に、天真爛漫な瞳の奥に隠された「深遠なる哀しみ」を求めることもないし、強面の偉丈夫である自分が、彼女を見るときだけ「慈しみに溢れた眼差し」になるかどうかなど一切関係ないのです。
西島氏の条件設定が適切かどうかという議論をしたところで極めて主観的な話なので、是非の判断がつくわけではなく、単なる好悪の違いがあるだけでしょう。
ただ一つ言えることは、因果応報の理が働き、女が男にスペックを求め続けたので、男も女に細かくスペックを求めるようになったということです。
プロ経営者が求められる背景とは?
では、プロ経営者の場合はどうかというと、企業サイドが買いたいモノとは経営手腕ということになります。
ところが経営手腕は、企業の成長のステージによっても求められる内容が異なり、具体性をもって定義することが難しい言葉の代表格です。
だから、「経営手腕があれば、経営改革が成功する」という命題は正しくても、経営手腕を有する人をダブラ・ラーサな状況の中で発見することは困難を極めます。
その代わりに、「業績建て直しに成功した人や好業績をあげた人には経営手腕がある(に違いない)」という淡い期待に満ちた推論にすり替えられているのです。
いずれにしても、プロ彼女待望論とプロ経営者礼賛という現象の共通項は、条件や経営手腕というスペックで測量したら最適解が得られるというスタンスにあります。
彼女であろうが経営者であろうが、人間を性能や効率による評価というフィルターで見ていること自体、インテリジェンスという点で進歩も進化もしていないと言わざるを得ません。
企業経営を構造ではなくプロセスとして捉える必要性
誤解がないようにしておくと、プロ経営者として取り沙汰されている方々がプロではないとか能力不足だとか言いたいわけではありません。おそらくとても優秀な経営者なのでしょう。
しかし、結果オーライ以外の方法で誰か優秀な経営者であるかどうかをジャッジ出来るのでしょうか。
重要なことは、世間でプロ経営者が持て囃されているからといって、中小企業のオーナー経営者までもが、これからの経営者のあるべき姿を見誤らないようにすることです。
プロ経営者に頼る理由は、企業活動あるいは事業活動というものを、古い知的パラダイムの上に居残り続けたままで見ていることが原因だと考えています。
古い知的パラダイムとは、17世紀に確立された機械的世界観と要素還元主義を二つの柱とした近代科学を指します。
機械的世界観とは、「世界はいかに複雑に見えようとも、結局は一つの巨大な機械である」という発想にもとづく世界の見方です。
そして、要素還元主義とは、「何かを認識するためには、その対象を要素に分割・還元し、一つ一つの要素を詳しく調査したのち、結果を再び集めればよい」という考え方です。
したがって、近代科学的経営の根底には、「企業は一つの機械であり、この機械を改良するためには、これを分解し詳細に仕組みを調べれば良く、企業活動を発展させるためには、企業を適切に設計し、制御すれば良い」という考え方が隠されているのです。
なるほど、経営がこれからも機械論的かつ要素還元的に取り扱えるものであれば、経営の良し悪しとはあくまでも手法の巧拙の問題に過ぎないという意見に同意します。
フレームワークを駆使した分析能力に長け、過去の成功事例をパターン化して別企業の経営に適用することは、改善の効率を著しくアップすることは間違いありません。
いままでのような内部昇格の社長では、直面している厳しい経営環境を乗り越えていくことはできない。
だから、外部から招聘してでも優秀なプロ経営者に経営の舵取りをしてもらう必要がある。
その気持ちは分かりますが、内部昇格の社長が通用しなくなった原因を見誤っています。
経営の困難さの強度が増したのではなく、経営の質を上げるための要因が変化したことを見過ごしてはいけません。
企業経営を構造として捉える時代は終わったのです。同時に、構造に付随していた性能や効率により評価する視点も限界を迎えました。
これからは、企業経営を生命的プロセスと捉え、意味や価値により評価していく視点が求められるのです。
そのためには、未来予測ではなく未来ビジョンを創出することが不可欠です。
生命論パラダイムにおいて、未来はまだ決定されておらず、この未来を決定するものは、まず何よりも想像力と創造力を駆使して描き出す未来に関するシナリオです。
その創造的未来の実現に向けて、構造とは、刻々と生成し、発展し、進化し、消滅していくダイナミックなプロセスを、ある時点で切り取ったときの静的な断面に過ぎません。
したがって、これからの経営においては、構造そのものを問題にするよりも、その構造の深層に存在する運動のダイナミックなプロセスこそ重要なのです。
言葉で世界を創る経営者が求められる時代
そして、未来シナリオを語るときに言葉の力が重要になります。その言葉を聞くことによって、想像力がかき立てられ、新しい価値の創造が促されるような言葉です。
経営者が深く理解しておくべきことは、言葉が世界を創るということです。
すなわち、経営において未来を語るということは、予測を語ることではありません。
それは、なによりも意思を語り、希望を語り、夢を描くことです。
この経営者の役割は、プロ経営者の守備範囲ではありません。
表面的には美辞麗句で飾られていても、本音では利益をあげることを目的としたビジョンは本当の共感を生み出しません。
そのビジョンは、何のためなのか、誰のためのものなのか。
どんなビジョンなのかということ以前に、なぜそのビジョンを掲げるのかという理由こそが重要なのです。
聞き心地の良い戦略だけでは、人の心を動かすことはできません。
戦略が社員、顧客をはじめとしたステークホルダーの心を惹き付けるのは、その戦略の裏にある思いが伝わるからです。
情報量が爆発的に増え、感性が進化した我々には、その思いが本物かどうかが直ぐにわかってしまうのです。
だから経営者は自分の心に素直になった方がいい。
収益が全てだというならそれでもいい。それならば、社員や顧客にも「給料が高い」「商品が安い」というメリットを提供し続ければいい。
思いには思いで応える。損得には損得で応える。それが人間の心理というものでしょう。
これは、どれが正しいかどうかという経営哲学の問題ではなく、どういう生き方がしたいのかという人生哲学の問題です。
このことに気付き実践していく経営者こそが、これからの時代に求められる本物の経営を実践する経営者、プロ経営者に代わるリアル経営者ではないでしょうか。