1万時間の法則とデリバレート・プラクティスで経営能力は高められるか

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1万時間の法則~ある分野でトップになるためには1万時間が必要

心理学者K・アンダース・エリクソンのグループは、スポーツ、チェス、音楽など多くの分野の一流と言われるプレーヤーを観察して、共通した特徴があることを発見しました。

トップ・プレーヤーとして君臨するアスリートや演奏家は、その生涯に信じられないほどの時間を練習に投資していたのです。

彼はその実例として、西ベルリンの音楽アカデミーでの調査結果をあげています。

実力の異なるバイオリニストを3つのグループに分けて、18歳までにどれだけの時間を練習に費やしたかを調べたところ、最も優秀なグループでは平均7140時間でした。

これは、二番目に優秀なグループの練習時間を2000時間以上、三番目のグループのそれを4000時間以上も上回っていたのです。

エリクソン氏の長年の研究によれば、最高位に分類される選手や音楽家などは、子供のころから10年以上のトレーニングを続け、その練習時間はトータルで「1万時間」を超えているといいます。

彼はこれを「1万時間の法則」と名付け、近年この考え方が、スポーツや芸術、あるいは教育の分野で注目を集めていることをご存じの方も多いでしょう。

しかし、「1万時間一つのことに取り組んでも、誰もが超一流になれるわけではないから、こんな法則は嘘だ」という批判があります。

指摘のとおり誰でも1万時間で超一流になれる訳ではありません。1万時間の法則は、超一流になるための必要条件であって十分条件ではないからです。

大切なのは時間の長さではなくデリバレートされたプラクティス

1万時間だけが特定の分野で傑出するための決め手ではないとするなら、別の要素に何があるのでしょうか。

『フォーチューン』誌の編集主幹だったジェフ・コルヴァンは、著書『究極の鍛錬』の中で、ハイ・パフォーマー達はエリクソン氏が「デリバレート・プラクティス」と呼ぶ練習を行っていることを指摘しています。

「デリバレート(Deliberate)」とは、「計画的な、十分に考えられた、慎重に決断された」の意味です。

タイガー・ウッズのような一流のプロ・ゴルファーのアプローチの練習が、陽気のいい春秋の週末に数回ゴルフをする一般人と大きく違っていることについて、次のように書かれています。

単に一箱のボールを打つというのは、デリバレート・プラクティスではない。

だから、ほとんどのゴルファーが上達しないのだ。

80パーセントの球をピンの20フィート以内に寄せることを目標にして8番アイアンで300球打ち、絶えず結果のフィードバックを得て、適切な修正を行い、それを毎日数時間行うこと。

それがデリバレート・プラクティスなのだ。

2015年のラグビーW杯で日本代表チームの活躍が話題になりました。

過去にW杯で1勝しかしていなかった日本代表チームが、予選リーグで強豪国南アフリカを破った1勝を含む3勝をあげたことで、日本中が大いに盛り上がりました。

ヘッドコーチのエディ・ジョーンズ氏が就任して何が変わったかというと、一番大きな違いは、まさにデリバレート・プラクティスが行われたことだと思います。

彼は帰国後の凱旋会見で、つぎのような話をしました。

日本には優秀な選手がたくさんいるが、日本のラグビーは本領発揮できていないと常に思っている。

日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない。

足の速い選手に中距離選手の練習をさせたら、彼のスピードは失われます。ウサイン・ボルトはマラソンランナーのような練習はしません。

ラグビー選手を育てる練習をしないといけない。そうすることにより日本のラグビー界の層を厚くすることができる。すると競争力も上がり、優秀な選手が増えた結果、代表チームが強くなります。

エディ・ジョーンズ氏は、「自分の実力を最初から低く見積もり、戦う前から負けを認めしまう」というマインドセットを変えて、選手に自信を持たせました。

また、自分の能力を肯定的に評価し長所を伸ばすことで選手の能力向上を図るという、最近お決まりの「褒めて伸ばす」式の方法も導入しましたが、真骨頂は別にあります。

練習計画にはしっかりとしたサイエンスを導入し、綿密な数値目標を立てました。

そのために、選手の走力などを把握するためにGPSによる走行距離の把握などデータを徹底して集めたのです。

また、ドローンによる空撮を導入し、ボールから離れた選手の動きも広い視野で鮮明に見られるようにするなどして選手個人、そしてチーム全体でも動きの客観視を可能にすることを徹底した。

結果として、練習で自分を追い込めていないことや動きの無駄さなどを把握できるようになり、不足している部分を自分なりに改善できるようになったのです。

結局のところ、「不足している部分」の改善なくして偉大な成果を得ることは、難しいということです。

ただし、練習で自分を追い込むのは、強制ではなく「セルフ・アウェアネス(自分自身での気付き」が最も大切なのです。

どんなデリバレート・プラクティスをすれば経営能力が高まるか

エリクソン氏の唱える1万時間の法則が経営にも当てはまるならば、社長に就任して1日8時間毎日社長業を続けていれば、4年足らずで1万時間を突破して、晴れて立派な経営者になれるはずです。

しかし、そんな簡単な話ではないことは多言を要して説明するまでも無いことです。

スポーツの場合と同じく、経営能力を高めるためには単に時間の長さが必要なのではなく、デリバレートされたプラクティスこそが必要なのです。

そこで、経営におけるデリバレート・プラクティスについての具体性を高めるために、デリバレート・プラクティスの輪郭をもう少しシャープに描き出してみます。

デリバレート・プラクティスの5要素はビジネスには当てはまりづらい

デリバレート・プラクティスには、5つの特徴的な要素があります。

  1. ときとして指導者の助力を得て、実績向上のために特別に考案されている。
  2. 何度も繰り返すことができる。
  3. 結果についての継続的なフィードバックを得ることができる。
  4. 精神的にとても辛い。
  5. あまり面白くない。

こうした特徴を眺めてみると、基本的に私たちが普段行っている仕事のスタイルに、まったく当てはまっていないことに気付きます。

先ず、経営者か社員かは問わず、会社の仕事は能力向上を目的にはデザインされていません。

細かい説明はともかく、自分の毎日の仕事の中味を具体的に考えてみれば、明らかなはずです。

ましてや、社員においては、会社の目的を満たす必要がある場合に限って能力向上の機会が与えら、かつ能力向上が期待されているに過ぎません。

企業組織に属するメンバーは、個人の固有の能力開発に時間を使うために雇われているのではなく、会社の業績に貢献するために雇用されているからです。

次に二番目の繰り返しが可能であることですが、社員の単なるスキルというレベルでは該当するものもあります。

例えば、キーボードの入力スピードとかプレゼンテーション術とか・・・

でも、破壊的ななイノベーションや顧客の予想外の反応など、経営の根幹に関わることで、しかも今までに経験したことのない新たな試練に直面した場合、参照すべき過去の経験すら持っていません。

通常、経営で失敗する代償はとても大きいため、重大な事柄に対して究極の鍛錬で自らの限界を試したり、新たな解決策を導き出すことより前例に倣って出来るだけ安全で確実なものに頼ってしまうものです。

では、フィードバックについてはどうでしょうか。たいていの企業においてフィードバック回路は、工場のラインでは機能していても、経営レベルでは正常に機能していません。

どこの会社でもある年に1度の決算報告など、サイクルがノンビリ過ぎてフィードバックとして効果的なはずがありません。

そして、「仕事とは面白くて楽しいものでなければならない」という最近の風潮は、精神的に辛くて面白くないデリバレート・プラクティスとは正反対の方向を示しています。

経営にデリバレート・プラクティスを活かすためには価値観の転換が必要だ

でも、裏を返せば、企業経営にもデリバレート・プラクティスを導入出来れば、個々人においても組織においても極めて大きな優位性を実現できるということです。

そのためには、スポーツの試合を見て浮かれているだけではダメです。次のような、大きな価値観の転換が必要になります。

  • 結果以上にプロセスに重きを置く
  • 時間軸を短期から中長期に転換する
  • 先ず個人能力向上を図ることで、結果的に組織能力の向上を図る
  • 価値ある失敗を推奨する
  • ときに仕事は辛く面白くないという現実を受け入れる

アンダース・エリクソン氏は、達人と素人の違いは、先天的に持つ才能ではなく、こうだと言い切っています。

一生上達するために、考え抜いた努力をどれだけ行ったかどうかだ。

「一生上達するために、考え抜いた努力をどれだけ行えるかどうか」それ自体が才能だとも言えますが、エリクソン氏が別で触れている「訓練というものの現状の定義が曖昧だ」という指摘は頷けます。

エディー・ジョーンズ氏が指摘したように、的外れな訓練を一生懸命に繰り返しても意味はありません。

習うより慣れろというレベルではなく、高度に具体化されたデリバレート・プラクティスが定義出来るかどうかは、これからの企業経営においての分水嶺になると思います。

社長業に就いている方においては、経営者として自身の経営能力を継続的に向上させていくために、先ずは「自分にとって経営とは何か?」という問いに答え、その後にオリジナルなデリバレート・プラクティスを定義する必要があるはずです。

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