「コミュニケーション能力が高い人」とは、どんな人?

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採用で重視するのは「コミュニケーション能力」

バブル景気までは、欲しい人材の特徴として「真面目」「誠実」「勤勉」「健康」などをあげる企業が多かったものです。

無遅刻無欠勤で仕事に粛々と取り組む、寡黙でもいいから頑強な不言実行タイプが好まれていた、と言うことが出来ます。

バブル景気崩壊後は、望ましい人材像に変化が生じ「チャレンジ精神を持った人」「自分で考えて行動できる人」「コミュニケーション能力が高い人」がよいと考える企業が増えました。

実際のところ、経団連が発表した「2016年度 新卒採用に関するアンケート調査の結果の概要」によると、「選考にあたって特に重視した点」として、「コミュニケーション能力」が13年連続で1位になっています。

上のグラフを見ると明らかなように、第2位は7年連続で「主体性」、第3位は「協調性」、第4位は「チャレンジ精神」ですが、第1位の「コミュニケーション能力」は87%とダントツのトップで、しかも年々その割合が上昇している傾向です。

企業の側が、こういう考え方であることは就活生も当然知るところなので、希望の会社から内定をもらうために、何とかコミュニケーション能力を磨こうと努力する学生が増えるのは理の当然と言えます。

すると、何でもビジネスに結び付ける目端の利いた大人が、たった1日で取得出来る就活生限定の「コミュニケーション能力2級認定講座」を2万9千円(税別)で盛んに売り込むようになります。

企業と学生の間で一致しない「コミュニケーション能力」の意味

このように世の中では、人材を取り巻くキーワードとしてコミュニケーション能力が大賑わいですが、言葉だけが一人歩きしている感が強く、最初に考ええるべきコミュニケーション能力についての定義が段階が抜け落ちてはいないでしょうか。

そのため、就活におけるコミュニケーション能力の意味について、企業側と学生側で微妙なズレが生じている可能性を疑いたくなります。

企業側のコミュニケーション能力の定義は、やや古いソースですが、「8年連続で新卒採用時に重視する要素、第1位に!企業が求める真の『コミュニケーション能力』とは」(ダイヤモンド・オンライン 2011.11.4)に具体例がいくつかあげられています。

「同年代と円滑に話せることではなく、年代の離れた相手とでも楽しんで仕事できること」(38歳/男性)

「自分の意見を言うだけでも聞くだけでもダメで、その両方ができること」(30歳/女性)

「立場の違う人の意見を否定せず、なぜその人がそう考えるのかを分析する姿勢が必要だと感じる」(32歳/男性)

「最低限、トラブルを起こすような感情の見せつけ方をしないこと」(55歳/男性)

「人それぞれコミュニケーションの取り方があると思うが、新卒には自分に何が求められているかを常に考える力を持ってほしい」(42歳/女性)

「1言えば10理解しろとまでは言わないが、5ぐらいは理解してほしい」(43歳/男性)

また、北海道という限定された地域での調査結果ですが、「就職活動を控えた大学生のコミュニケーション能力に関する意識調査-北海道の企業調査との比較-」(2013年10月号「開発こうほう」)が参考になります。

この調査結果の中で、大学生と企業それぞれが考えるコミュニケーション能力要素の重視度という表があります。

大学生、企業ともに最も重要視している「挨拶する」「お礼を言う」は人としての礼儀作法の問題で、大上段に構えてコミュニケーション能力の構成要素の中で取り上げることではないと思いますが、それ以外の項目も総じて、初めて集団生活が求められる幼稚園に入園する時の注意書きレベルの内容です。

したがって、企業においてコミュニケーション能力を重要視しているという意味は、昔と比べて高度なコミュニケーション能力が必要な仕事が増えているという前向きな意味合いというより、最低限の言葉のキャッチボールすら出来ない学生が増えて来ているために、以前より仕事がやりづらくなっているという後ろ向きな状況を踏まえて、せめて普通に話が出来る人を求めているということだと理解した方が良いかもしれません。

その証左として、コミュニケーション能力を重要視して採用したはずの若手社員に対する企業側の評価と学生の自己評価に大きなズレがあることが、この調査結果の中で示されています。

企業の若手社員評価が低い項目として、「相手が自分の言葉をどう解釈するか考える」「その場の適切な話題を選んで話す」「相手の立場にたって考える」「しぐさや表情から相手の感情をくみとる」の4項目が12%を下回っていますが、それらすべての項目に対して学生の自己評価は高く、認識の大きな乖離が見られます。

結局のところ、企業側は学生に要求するコミュニケーション能力について理解してもらう「コミュニケーション能力」が不十分で、学生側も甘めの自己評価をしているだけで、企業が必要としているコミュニケーション能力の内容を引き出す「コミュニケーション能力」に欠けているという、どっちもどっちの状況が現実で、「仕事にコミュニケーション能力が最重要」という主張は、企業内で上から下まで貧弱なコミュニケーションしか行われていないという実態の裏返しに過ぎないと読み解いた方が良さそうです。

「コミュニケーション能力が高い」の本当の意味

ここまで、人材の採用現場で「コミュニケーション能力」という言葉だけが一人歩きしている状況を確認しましあが、そもそもコミュニケーション能力とは、具体的にどのような能力なのでしょうか。

「聞かれたことに適切に答える」とか「自分の考えや意見を相手に分かりやすく伝える」などが出来ることが、コミュニケーション能力と無関係かというと、そんなことはありません。

ただし、どうしたら「そういうこと」が出来るようになるかについては簡単な話ではなく、コミュニケーション能力検定2級を取得すれば済むことではありません。

どんなに話を理路整然と明瞭な発音で伝えても、まったく言葉が相手に伝わらないことがあります。

例えば、JRのみどりの窓口で新幹線の切符を購入しているとき、目の前の駅員さんから「どこのご出身ですか?」と質問されたら、あなたはどうするでしょうか。

おそらく、ほとんどの人は「え?!」と聞き返すでしょう。

そして、重ねて駅員さんから「ご出身はどちらでしょうか?」と質問されたら、「そんなこと、あなたには関係ないでしょう!」とキレて話を終わらせる人がいるかもしれません。

あるいは、唐突な質問に面食らって、駅員さんの質問を聞こえないフリをしてスルーすれば、そこでコミュニケーションは断絶して終わります。

でも中には、言葉の意味は分かったけれど「なぜ、そんなことを聞くんですか?」という質問を逆に投げ返す人もいるでしょう。

その質問に対して、駅員さんが「帰省を支援する割引制度があるので、該当する場所かどうか確認しました」(例え話なので、そんな割引制度はありませんが)と答えて、やっと「大阪です」と返事をして、コミュニケーションの不調は解消します。

みどりの窓口で切符が買えるのに、「ご出身はどちらでしょうか?」という言葉の意味が分からない人はいないだろうし、しかも駅員さんの発音が明瞭であれば、その言葉が聞こえないということもないでしょう。

でも、自分が相手の言葉を聞き取れないことがあるし、逆に相手が自分の言葉を聞き取ってくれないこともあります。

なぜなら、センテンス(文章)は分かってもコンテキスト(文脈)が分からないからです。

「行き先はどちらですか?」「指定席を取りますか?」「窓側か通路側どちらにしますか?」「出発時刻は?」「人数は?」という言葉が、みどりの窓口で投げ掛けられてくることは、予備知識として持っているはずです。

だが、「出身地がどこか?」という質問は想定されていないので、最初は聞き取れないし、次に言葉の意味は分かったとしても、答える必要性を理解できないので、キレるか黙るかしてコミュニケーションを成立させることなく終わる可能性があります。

この例え話によって、本当の意味でのコミュニケーション能力とは何かの片鱗が分かるはずです。

それは、論理性の高い言葉を語ることでも、力強い言葉づかいをすることでも、明瞭な発音をすることでも、ひたすら傾聴することでもなくて、お互いがコンテキスト(文脈)を共有しているかを常に意識して、もし共通の場に立っていないことが分かったなら、コミュニケーションの土台となる場を適切かつ迅速に整えることが出来る能力を指すのです。

よく笑い話のネタにされている領収書の宛名の聞き間違いなども、コミュニケーションの不調がもたらす典型的な例です。

宛名は上で但し書きは品代でという意味で「上様、品代で」と伝えたら、宛名が「上様死なないで」になっていた。

宛名は「上でいい」と伝えたら、「ウェディ様」になっていた。

宛名は「田んぼの田に村です」と伝えたら、「田んぼの谷村様」になっていた。

飲食店は、人手不足のためにホールスタッフにベテランを配することは難しく、どうしても学生や外国人に頼らざるを得ない状況です。

そのため、出来る限りマニュアル化を進め、通常の業務の範囲内で、どうコミュニケーションをするべきかについてはこと細かなルールがあります。でも、イレギュラーな事態に陥ったときに、コミュニケーションをどう正常化するかについての経験知は、まったくと言ってよいほど現場に存在しません。

日経ビジネスオンラインで遥洋子氏が「遙かなるコンシェルジュ『男の悩み 女の嘆き』」というコラムを連載しています。

2017年2月10日付けのコラム「『おもてなしの国』は、いずこえ」の中で、コミュニケーションの不調により生じるいくつかの出来事が面白おかしく書かれています。

遥洋子氏は、このコラムの最後を、次の言葉で締めくくっています。

でも今、何やらあちこちにほころびが見えている。そんな気がする。その原因は○○だ!と決めつけたり、こうすれば解決できる!と声高に言うつもりはない。

(中略)何やら難儀な時代がやってきている。と、嘆いていても仕方のない時代がやってきている。

「えっ」「何で」と思う出来事がいろいろと起き得るのだということを想定して、うまくやっていかないといけない時代がやってきている。

遥洋子氏は、やや諦め感を持ちながら、コミュニケーション不調がもたらすトラブルを覚悟していくのが、これからの時代の渡世術だと嘆息を付いていますが、コミュニケーションの当事者同士が、自分の立ち位置に固執し正当性を主張しているという意味では、イレギュラーな事態に陥ったコミュニケーションを正常に戻すための「コミュニケーション能力」が欠けていることに、問題があることに気付かされます。

これからの企業内コミュニケーションに大切な「対話」

多くの経営者が望ましい人材像として「コミュニケーション能力の高さ」をいの一番にあげる理由は、企業内で解決すべきだと認識されている課題の根源に、組織内のコミュニケーションが隠されていることを無意識に嗅ぎ付けているからです。

キャリア開発、ナレッジ・マネジメント、理念共有、モチベーション・マネジメントなどの課題は、個別に対処療法を行う事柄というよりも、根源的には自社で支配的なコミュニケーションの態様に原因があり、それを見直すことで、解決に至ることが多いことは、コンサルティングの現場でもよく経験することです。

そこで最近、一人ひとりがものごとの意味を的確に理解し、行動を変え、そうした個々人の学びや成長の積み重ねの結果として、組織変革を行うためにの有効なアプローチとして「対話(ダイアローグ)」が注目されています。

「対話」の核真に触れる前に、世間で良くありがちな「コミュニケーションの態様」とは、具体的にどんなコミュニケーションのスタイルなのかについて、確認をしておきます。

そのためには、企業ではなく議員先生達が国会や地方自治体の議会において得意としているコミュニケーション作法を知ることが有効です。

国会中継を見ると、真っ当な感覚の持ち主からすると、いい大人が茶番劇を繰り広げているとしか映らないのですが、その理由は、「自分の言いたいことだけを大声でまくし立て、相手に発言の機会を与えず、仮に相手の発言があったとしても聞く耳を持たない」というコミュニケーション・スタイルだからです。

自分が正しく、相手は間違っているという基本的なスタンスを絶対に変えることなく、一方的に責め立てたり揚げ足取りをしながら、外野は下品なヤジを飛ばしている様は、正に世間で良くありがちなコミュニケーションの態様を象徴しています。

こういうコミュニケーション・スタイルは、知識人が集まって議論を行うテレビ朝日の『朝まで生テレビ』の中で、まったくの生き写しを見ることが出来ます。

最高の立法府に所属する議員達や知性を売り物にしているはずの名だたる知識人達が、ことある毎に似たようなコミュニケーション・スタイルをとっていることを見せつけられた私たちの多くが、日本という国は、相手に「自分を説得させる機会を与える」人間よりも、「相手に何も言わせず黙らせる」人間の方が社会的に高い評価が得られる社会を形成していると、学習するのは無理からぬことです。

コミュニケーションを単に情報の移動であるという機械論的なとらえ方をせずに、コミュニケーションを通じて、当事者同士が変化していくプロセスを重視する視点こそが対話の目的です。

そのために、単に情報や思いを言葉に乗せて、一方的に伝える通信的なコミュニケーションから脱却して、もっと双方向性を大切にし、論理だけでは無くストーリーを語り合い、意見を述べ合い、相互に理解を深めていき、結果としてAかBかの選択をするのではなく、創造的に新たな選択肢Cを生み出していくプロセス。そこに対話というスタイルでのコミュニケーションの真髄があります。

しかし、こういう話をすると、「うちの会社は、上下間でも部門間でも壁がない風通しが良い社風で、社内で活発な“議論”が行われ、肩ひじ張らない普段の“会話”も盛んですよ」「だから、当社に限っては組織内のコミュニケーションを上手く行っています」と言う経営者が現れます。

だが残念ながら、これまでの日本の多くの会社は、戦略を決めるための「論争」や夜の飲み屋で繰り広げられる「会話」「雑談」というコミュニケーション・スタイルは得意でも、「対話」をしたことがないのが現実です。

なぜなら、企業にとって成長のスピードが何よりも優先される市場成長期の環境下では、組織内のコミュニケーションにおいて重要なことは、上からの指示を会社の末端までに迅速に伝播することだったからです。

一人ひとりの価値観や好き嫌いなどを問題にすることはなく、一緒に汗を流し、同じ釜の飯を食む家族的関係性の社員同士が、あうんの呼吸でわかり合い、同じ方向を目指して全力で突き進む。

高度経済成長期からバブル景気までにかけては、日本全体が「拡大」を続ければ、全員が現在よりも将来豊かになれるという大きな希望を共有していたので、企業が取り組むべき課題は明確で、何をすれば会社の利益になるかを全社員が理解し共有することは、それほど難しいことではありませんでした。

だから、相互理解を深めていく対話の必要性を感じることは少なく、つべこべ言わずに疑う余地のない共通の目標達成に向けて、一心不乱に前進することが大切だったのです。

その時代の企業内においては、「指示命令が迅速かつ正確に行き届いているか」こそが重要であり、コミュニケーションが成立しているかは、余り眼中にはありませんでした。

しかし、現在の企業にとって最大の課題は、そもそも「取り組むべき課題は何か」が自明ではなく、流動的なことなのです。

顧客の趣向が多様化し、単純なニーズの後追いではモノが売れない時代になり、将来の豊かさを約束する大きな希望も失われました。

少子高齢化が進み、拡大よりも縮小する市場環境のもとで、今あるものの中から何を残し、何を捨て去るのか。限られた環境資源と財を、どのように分配していくのか。人類が一度も経験したことがない事態に対して、前例なき模索が続いているのが、現代の経営なのです。

このような経営環境においては、多様化した社員の価値観や理念を無視して「上意下達を受け入れて、黙って突き進め」という古い行動規範は通用しません。また、経営者自身も、自信を持って社内に周知徹底を強いるほどの方針や戦略を生み出せなくなっています。

だからこそ、社員一人ひとりが「そもそも、うちの会社の存在意義は何か」「この商品が生み出す価値は何か」などを自律的に考え、必ずしも正解がない「めざすべき」というより「めざしたい」方向を企業全体で模索していく協同的な意志決定のプロセスを構築していくことが必要な時代になったのです。

「より速く」よりも「より深く」、「より単純に」よりも「より複雑に」考え、そして意志決定することが求められる時代になったとも言えます。

そうした経営環境において、社員一人ひとりが、複雑さに立ち向かい深く考えたことを、どのように行動につなげていくかに直面したとき、お互いの理解を共有し合うプロセスの必要性を認め、そこに「対話」というコミュニケーション・スタイルの可能性に焦点が当てられているのです。

「対話」を行うために必要な前提とは

さて「対話」の意義と必要性は分かったとします。でも、だからと言って、すぐに企業が対話を中心に据えたコミュニケーション・スタイルに切り替えて行けるかとうと、それほど簡単な話ではありません。

先ほども述べたように、これまでの企業内コミュニケーションは、「論争・議論」か「会話・雑談」によってほとんど占められていました。

「論争・議論」というのは、ディベートですから、自説の正しさを相手に認めさせるために、意見を戦わせることを意味します。ボクシングに例えれば、WBAとWBCのチャンピンが、それぞれが自分が真のチャンピオンであることを証明するために、試合をするようなものです。そこには、必ず勝者と敗者が存在します。

「会話・雑談」というのは、「他愛がない」ことをもって旨としているので、言いたい人は、言うだけで目的を達せるし、聞く方は「聞いているふり」をしているだけで成り立つコミュニケーションです。ボクシングに例えれば、軽いスパーリングか、シャドウボクシングのようなものです。

一方「対話」とは、先ず自分の価値観とか正当性などを棚上げにするところからスタートしなくてはなりません。いま目の前にある事柄について、自説の正しさにこだわらずに、是非について未決であることに同意する必要があるらです。ボクシングに例えれば、お互いチャンピオンベルトを一度返還して、暫定王者であることを受け入れることを意味します。

そうしないと、自説の正しさを主張するばかりで、お互い相手を説得する、そして説得を受け入れるというプロセスに入れないからです。

そして、ここが一番大切なところですが、説得の機会を相手に与えるということは、「相手の知性」に敬意を払い信頼すること抜きでは成り立ちません。

相互に認められる前提を模索し、両者がともに同じロジックを採用して話を進めれば、いずれ同じ結論にたどり着くはずだという信憑がなければ、説得という行為は成立しません。

しかし最近日本では、「反知性主義」という言葉がよく使われています。原意は、米国で見られるアンチ・エリート主義なのですが、日本における「反知性主義」は、現代の大衆に見られる知的姿勢において象徴的です。

それは、自らが心地よいと感じる思想や思い込みを絶対視し、それに反対する者を罵倒する態度や姿勢を意味します。

ネット上での執拗な「叩き」や「ヘイト・スピーチ」などは、日本的「反知性主義」の現れですが、反知性主義者は、当然「相手の知性」を信頼してはいません。自分の考えとは違う他人のことは、「バカ」とか「カス」とか「死ネ」と罵倒して、その存在すら軽視します。

したがって、「反知性主義」に罹患している者は、にわかに「対話」というコミュニケーション・スタイルを取り入れることが難しいのです。

これからの時代の経営者は、「わが社に対話の文化を根付かせよう!」とぶち上げる前に、先ず自身が「相手の知性」を信頼することが出来る真の「知性主義者」になることが求められます。

例えば、最近はSNSが発達したために、個人的にアカウントを持つ経営者が増えましたが、SNS上での「暴言」や「不適切発言」が後を絶つことがありません。

→ 客に「お前みたいな奴は二度と注文しなくていいわ」 ZOZOTOWN社長暴言ツイートで謝罪

→ ステーキけん″井戸実社長のツイートに批判殺到 ひろゆき氏も″宣戦布告

舌禍を引き起こし炎上すると、経営者は「不注意だった」とか「未熟なために誤解を招くような表現をしてしまった」というような言い訳をして口先だけで謝罪をしますが、根底には自分以外の「他者の知性」への敬意が欠けていたことを認める必要があります。

特に、優秀で頭の良い経営者ほど、自分の知性に自信があるために、知らず知らずのうちに「相手の知性」に敬意を払い信頼することが等閑になっていることがありますが、真にできる経営者であれば、その事実を認め受け入れることが出来るはずです。

そのうえで、企業をネクスト・ステージに導くために、ぜひ自社において「対話」が出来るコミュニケーション能力の高い人と組織づくりに取り組むことをお勧めします。

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