多数決に代表される合議的な意思決定の問題点とは

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合議制が抱える3つの問題点とは

民主主義国である日本では、選挙で議員を決めるときや議会で法案を可決するときに、多数決という方法を採用しています。そのため、企業組織においても民主主義的な意思決定をすることが望ましいと考える社長がいます。

なぜそう考えるかというと、「三人寄れば文殊の知恵」ではないですが、おおくの人が関わって決定された内容は妥当性が高いという思いや、自分たちで決めたことは責任をもって実行してくれるはずだという期待感があるからです。

しかし、合議制は意思決定方法をとして優れているとは言えません。

その理由は3つあります。

  1. 意思決定のスピードが遅くなる
  2. 責任の所在が曖昧になる
  3. 非論理的である

ちなみに、ここで言う「合議制」とは、単純な多数決だけに留まらず、日本企業に根付いている「稟議」や「根回し」という広い意味での集団的合意形成も含めています。

1. 意思決定のスピードが遅くなる

合議制を好む心理には、2つのバイアス(無意識な偏り)が働いています。

一つは、「正しい」結論にこだわっていることです。

いくつもの戦略的打ち手のうち、現在の経営環境に最も適した戦略を選ぼうという考え方です。

「いやいや、そんなの当たり前でしょう。どこが悪いのですか?」という反論が出てくる方は、この病気に感染しています。

「最適」という言葉は、アカデミックな場では好んで使われますが、よく考えてみると、ずいぶんと観念的な言葉です。

なぜなら、そもそも神ならぬ人間である以上、どんなに時間をかけて意思決定をしたところで、その結果が最適である保証を与えてくれる「人間」はいないのです。

だから、本当の意味で実践的な意思決定をしたければ、最適にこだわらずに、一の矢だけではなく、二の矢、三の矢を用意して戦略を重層的に設定するとか、失敗を前提としたテスト・プロセスを準備することにこだわるべきです。

合議制にこだわれば、はじめから最適な結論が導かれないにも関わらず、時間だけを浪費するという結果を招くだけです。

2. 責任の所在が曖昧になる

「合議制」で決めた決定事項に対しては、確実に全員が責任を取りません。

連帯責任なんだから、多くの人が責任感を持ってくれるはずだと誤解している社長がいますが、絶対にそんなことはありません。

最悪なのは、社長自ら「みんなで決めたんでしょ?」と、責任逃れを始めてしまうことです。

誰も責任をもって取り組まない決定事項が上手くいくはずはありません。

3. 合理的ではない

ボルダのパラドックス

多数決は、最も多くの人が支持する案を採用する方法なので、最大多数の最大幸福を実現できると思いがちですが、実はきわめて非合理的な結論が導き出される危険があります。。

「ボルダのパラドックス」の中で、それが証明されています。

ここに、仲良し7人組がいて、夏休みに旅行に行くことにしたので、どこに行くかを話し合っているとする。

しかし、東京ディズニーランド(TDL)、ユニバーサルスタジオ(USJ)、北海道の3つの行き先が出て、なかなか話がまとまらない。

そこで、多数決によって行き先を決めることになる。それが、一番民主的だと学んできているから。

では、7人がそれぞれ以下のような選好順序を持っていると仮定してみる。

A子 TDL>USJ>北海道
B子 TDL>USJ>北海道
C子 TDL>USJ>北海道
D子 北海道>USJ>TDL
E子 北海道>USJ>TDL
F子 USJ>北海道>TDL
G子 USJ>北海道>TDL

さてこの仲良しグループが「最も行きたい目的地」を一つ書いて投票すると、以下の結果になりました。

3票 TDL
2票 USJ
2票 北海道

行き先は、3票集めたTDLに決定しました。

ところが、同じグループで「最も行きたくない目的地」を一つ書いて投票すると、以下の結果になりました。

4票 TDL
3票 北海道
0票 USJ

一見すると不思議に感じますが、この場合でもTDLに決定することになるのです。

つまり、この7人で多数決をとると「最も行きたい目的地=最も行きたくない目的地」となり、とても理性的な選択とは言えなくなります。

アビリーンのパラドックス

集団による意思決定の不合理性を示す事例として、もう一つ「アビリーンのパラドックス」をあげることができます。

テキサス州コールマンを訪れた家族は、暑い午後をポーチでドミノをしながら快適に過ごしていました。ただし、義父が夕食のためにアビリーン [北へ53マイル(85km)]へ旅行することを提案するまでは。

義父の提案に対して、妻は「素晴らしいアイデアですね」と言いました。夫は、長く暑いドライブが必要なため、予約をしているにも関わらず気乗りがしなかったが、他の家族が行きたがっている気持ちに水を差してはいけないと思い、「いいんじゃないんですか。お母さんが行きたいと願うのなら」と言いました。義理の母は、「もちろん行きたいわ。長い間アビリーンに行ったことはないから」と言いました。

出発すると、ドライブは予想どおり熱く、ほこりっぽく、長いものになりました。やっとの思いでカフェテリアに到着して口にした料理は、ドライブに劣らないほどひどいものでした。家族は、4時間後に疲れ果てて帰宅しました。

すると一人が、思ってもいないにも関わらず「素晴らしい旅でしたね」と感想を口にしました。しかし、義理の母は言いました。「本当は家にいたかったけど、他の3人がとても行きたそうだったからついて行っただけです」と。すると夫は「私は喜んで行ったわけではありません。ただ、残りの皆が満足してくれるのならよいと思っただけです」と言い、妻も「私は家族がハッピーならよいと思って一緒に行ったまでです。こんな暑さの中外出したい気になったなんて、クレイジーでした」と言います。最後に義父は「他の人が退屈だろうと思って提案したまでだ」と言いました。

実は誰一人として望んでいなかった旅行へ行くことを家族全員で決定したことを知り、全員が困惑しました。今日の午後、本当は家族全員が屋内で快適に過ごすことを望んでいたのに、旅行の提案が出されたときに、誰も自分のその気持ちを主張することがなかったのだ。

アビリーンのパラドックスが示すことは、個々の構成員が「自分の意見(気持ち・嗜好)は、集団の他のメンバーとは一致しない」と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えることを控える行動を招き、結果的に集団が誰一人として望んでいない結論を導きだしてしまう可能性についてです。

合議制は企業組織が老化している証である

意思決定において、一人のワンマン社長によって独裁的な意思決定が行われる場合に、「尖った」結論が出てくる可能性が高くなります。

ところが、多数の人間による合議や承認によって意思決定がなされる制度においては、皆で寄ってたかって「尖った」ところに否定的なコメントを入れてしまい、最終的には必ず「骨抜き」にされます。

こう言うと、「それでは、独裁的な意思決定が優れているのか」という疑問が出てくるでしょう。

どちらの意思決定の方法が、いいか悪いかは、詰まるところ以下のどちらの意思決定方法を選ぶかということに帰着します。

  • 間違えるかもしれないが、思い切った意思決定をする
  • 間違える確率は低いが、(過去から現在の延長線上にある)凡庸な意思決定をする

そして、歴史が長い立派な会社ほど、稟議書にズラッと判子の欄が並んでいることが象徴しているように、集団的意思決定を採用していること自体、組織の老化を意味しているのです。

企業が「若さ」を保っているか「老化」しているかは、経営者の年齢で決まるものではなく、意思決定のスタイルが変わらなければ、仮に若い後継者が社長を引き継いでも、組織は老化したままということになります。

「議論を尽くす」と「集団で意思決定をする」は意味が違う

補足しておくと、「議論を尽くす」ことと「集団で意思決定をする」ことを混同している人がいますが、全く異なるものです。

意思決定のプロセスには、「情報収集による選択肢設定」段階と、設定された選択肢の中から「最終選択をする」段階がありますが、「議論を尽くす」ことが重要なのは、前段の情報収集段階においてです。

意思決定に多数の人間が関与することは、凡庸な結果を招く以外のなにものでもなく、結果的に「差別化」には繋がらない意思決定になります。

社長は常に「正しい決定」をしなくてもよい

社長は決めるのが仕事ですが、決して常に「正しい決定」をするのが仕事ではありません。

むしろ、リスクをとってでも「尖った」決定をするからこそ、社長という地位と報酬が与えられているはずです。

その社長としての職責を全うするためには、意思決定内容以上に、意思決定プロセスを重視することが大切ですから、間違っても合議制などになびかないようにしましょう。

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