成功と失敗の定義は簡単そうで実は正解がない
経営コンサルタントという看板を掲げている人は、自分の仕事の目的を「顧客のビジネスを成功させること」と明確に定義しているはずです。
だから、経営コンサルタントの使命は、ビジネスの成功という目的達成のために合理的かつ効率的な考え方や方法を教え伝えることであると言えます。
ただし、ビジネスにおける成功が何であるかについては、ハッキリしているようで実は曖昧であったりします。
会社ならば収益、個人ならば満足に足りる報酬・地位・権威といったことかもしれません。
でも、それらはアウトプットの一つであって、結果が出てからそれを評価して、成功であったとか失敗であったとか判断しているに過ぎません。
ところが、それほど儲からないビジネスであったとしても、嬉々として日々仕事に打ち込んでいる人もいるし、長年かけて築いた巨万の富を一夜にして失ってしまう人もいます。
結果としての成功とか失敗は、詰まるところ死に際の床の上でしか分からないことになります。
最近では稼いだお金の多さが成功の尺度として使われることが多くなりましたが、お金は成功を判断するための万能の尺度にはならないでしょう。
大金を稼いだけれど贅沢三昧がたたって心臓病と糖尿病を併発して余命幾ばくもない中、家族は莫大な遺産をめぐって既に骨肉の争いを始めていて、お金目当てに近寄ってきた人ばかりで信頼できる友人は一人としていないことになるかもしれません。
その一方で、名も無い市井の人に過ぎなかったけれど、家族と友人に暖かく見守られ深い充足感の中で臨終を迎えるということになるかもしれません。
おそらく、人は最後にビジネスの成功のためだけに働いていたわけではないことを実感することになるのでしょう。
こんなことを言うと、「ビジネスは金儲けのためだけにするものではなく、もっと崇高な目的が必要だ、とでも言いたいのか?」とツッコまれそうですが、そんなことが言いたいのではありません。
このことを言いたいのです。
将来に目的を設定することは、現在を将来に奉仕するための手段にすることを意味します。
そして、この絶えざる現在の手段化こそが、ビジネスをつまらなくしてやりたいことからやるべきことにしているのです。
当然、世の経営コンサルタントのおおくも、ビジネスには目的が必要であることを無言の前提としており、「顧客のビジネスを成功させる」と言っても、それはあくまでも短期的な目的達成を成功と見なしているのであって、長期的な成功の意味については元より目を覆っています。
長期的な成功の意味など、そもそも経営者の極めて個人的な課題であり、誰も経営コンサルタントにそんな課題について貢献することを期待していないのかもしれません。
最近のビジネス書がひたすら読みやすさにこだわる理由とは
話は変わりますが、世の中にはビジネス書というジャンルがあります。
最近は本が昔に比べると売れない時代になっていますが、ビジネス書も1万部売れたらベストセラーで重版率がたった3割という状況のようです。
そのため、最近のビジネス書を見ると、読みやすくすることで手に取りやすくしようとする出版社の並々ならぬ努力が感じられます。
一方で、村上春樹氏の小説のように分厚いうえに、小さい文字と狭い行間で出来上がっている本が100万部も売れます。
2015年に話題となった又吉直樹氏の芥川賞受賞作品『火花』は239万部も売れましたが、ビジネス書と比べてはるかにページ数も1ページ当たりの文字数も多いです。
なんでビジネス書はここまでして、読みやすさに拘らなくてはならないのでしょうか。
理由は簡単で、面白くないからです。
面白ければ、小説のように小さい文字でページを埋め尽くした分厚い本でも、買って読む人がいるはずです。
そこで、また疑問が湧きます。
なぜ販売部数は減ったとはいえ、世の経営者やビジネスマンの中に、面白くもないビジネス書を読みたがる人が相当数いるのでしょうか。
それは、ゲーム攻略本が売れるのと同じ理屈です。
手っ取り早くステージ・クリアの秘訣を知りたくて本を買うのだから、細かい字で長々とご託を並べているゲームの攻略本は売れません。また、購入者は内容が面白いから買うのではなく、裏技を知りたいから読むまでです。
だから、ゲームの攻略本に求められる必要条件は、間違いなく読みやすさです。
同様にビジネス書自体が、どのように他人や他社を出し抜くかというノウハウの羅列です。
したがって、買い手は人より早くビジネス・ゲームをクリアして、成功の果実をいち早く手にしたいために本を読むのだから、読みやすさが求められるのは当然です。
「経営者は本を読まないから、ビジネス書は読みやすくしないと売れない」と編集者が語っているのを聞いたことがありますが同意しかねます。
ゴルフ好きの社長が定期購読しているゴルフ雑誌の誌面は、相当小さな文字がギッシリ埋まっています。でも、書いてある内容自体が面白いと思えば、字が小さくても行間が狭くても、人は喜んで活字を読むのです。
ただし、ビジネス書を手にする読者が見落としていることは、攻略法をいくら読んでもゲームそのものを楽しんだことにはならないという、言われてみれば当たり前の事実です。
そこにあるのは、ビジネスの痕跡であり、自慢話であり、限定的に意味のある指針や規範に過ぎません。
それを読んだところで、大して面白くないうえに、ビジネスの意味や真髄に触れることはできるはずがないでしょう。
世の中には、サッカーが大好きで理論や選手の起用法などをあれこれ考えることに興じている人がいます。
そこで話を聞いてみると、あくまでも見るのが専門で実際にサッカーのプレーはしないと言う。その理由は、実際にピッチでプレーをすると、やることなすこと理屈どおりには体が動かないからとのこと。
しかし、趣味のあり方は人それぞれとしても、サッカーが上手いか下手かは、サッカーのプレーを楽しむこととは本来関係のないことです。
サッカーが本当に楽しいのは、自分が上手になっていくプロセスを実感できるからなのです。
このように、ビジネスを自らの課題として取り組んでいくことと、ビジネスを成功に導くために指南書を読むことの間には、本質的な違いがあるのです。
目的を掲げることで自動的にプロセスよりゴールが重要になる
ビジネスに目的があり、その達成が何よりも重要だという考えに立つなら、効率が全てをコントロールするキーワードになります。
ゴールまで最短距離、最短時間、最少のエネルギーでいかにして到達するかが、効率においては重んじられます。
しかし、もしゴールという彼岸が想定されない、あるいはゴールというものがプロセスの中にすでに含まれていると考えると、効率という考え方そのものが意味を失います。
分析のフレームワークにAs-Is/To-Be分析というものがありますが、先ずゴールを定め、つぎに現状を把握して、ゴールと現実との間に横たわるギャップを明らかにした後に、そのギャップを埋める方法を考え行動することで、効果的にゴールに至ろうという手法です。
当然、As-Is/To-Be分析においては、プロセスはいつでも変更可能で、かつ代替可能であるという前提でしか扱われません。
効率重視の思考においては、ゴールまでの道すがらの中で、最も無駄なものとして排除すべきはプロセスだからです。
より簡単なプロセス、より短いプロセスが効率の名のもとに好まれると、ゴールに至るための戦略は、時代的な文脈と模倣によって自由度が失われ、他社と似たり寄ったりの内容にならざるを得ません。
そのため、差別化のための戦略が結局は差別化にならないか、その寿命が短くなるのです。
したがって、効率の名のもとにビジネスをモノやサービスとお金の交換としてだけ考えていると、最終的にはいかにして効率的に金を稼ぐかのみに執着せざる得なくなります。
もちろんビジネスの目的は、利益を出すことです。これに関しては異論はありません。
しかし、利益をどのように生み出していくかについては、経営者の数だけのやり方があるはずです。
やり方に光を当てることは、こだわり・価値観・強みといった見えない資産にも見える資産と同等の配慮をすることであり、見えない資産とはゴールではなくプロセスに内在しているものなのです。
ビジネスは「きれいごとだけでは済まない」とはいうものの
昨日、ビジネスを主題としたドラマを見ていたら、つぎのようななセリフがありました。

プロセスはどうでもいい。結果が全てなんだ。だから、いまの結果には満足している。
あなたの言っていることは正論かもしれない。でも、ビジネスはきれいごとだけでは済まないんだよ。
ドラマの中だけに限らず実際のビジネスの場でも、大切なのはゴールで、プロセスに過剰にこだわることは、成功から遠ざかることだと信じている人はたくさんいます。
もちろん、ビジネスである以上、経営者だけではなく社員もソロバン勘定でもの考えることは当然です。
むしろ、どんなに魅力的で正しそうな美しい価値観や正義に対しても、ソロバン勘定で見直してみるというのが、ビジネスという土俵のルールであり、同時に限界でもあるわけです。
でもこれからの時代、ビジネスもサステナブルであろうとするならば、目に見えない資産を増やすことに注力し、ビジネスのゴール以上にプロセスに価値を置く経営こそが求められるようになるはずです。
そして、プロセスに価値を置くことは、ビジネス自体の面白味を味わうということを意味しているのです。