働き方改革~労働生産性の向上は「効率化」の推進ではない

経済・社会・政治
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「長時間労働の是正」が注目されたが空回りする議論

2015年12月電通新入社員の方が自殺した原因が過重労働だったとして労災認定され、各方面で様々な議論を呼んでいます。

この結果を追いかけるように、厚労省から『平成28年度版過労死等防止対策白書』が発表され、「長時間労働の是正」という課題がクローズアップされています。

「長時間労働の是正」は安倍内閣の「ニッポン一億総活躍プラン」の目玉である「働き方改革」の重要テーマでもあります。

しかし、世の中で行われている「働き方改革」の議論は、2つの大きな問題を抱えています。

一つ目は、長時間労働問題には2つの課題が含まれていることを理解せずに行われている議論が多いこと、二つ目は「労働生産性の向上は効率化によって達成出来る」という誤解を前提とした議論が多いことです。この結果、働き方改革という言葉だけが一人歩きするだけで、日本における将来の労働あり方が見えづらくなっています。

長時間労働問題に含まれる2つの課題

先ず、なぜ安倍政権が「長時間労働の是正」を掲げているかというと、体力勝負ではなく子育てしながらでも働ける労働環境を整えることで、女性が活躍しやすい社会を実現し、少子高齢化によって減少傾向にある総労働力を増やそうという狙いがあるからです。

一方、同じ「長時間労働の是正」であっても、「36協定」が意図するところは、労働者の過労死を防ぎ、健康的な生活を守るための最低限の基準を定めることです。

つまり、同じ「長時間労働の是正」であっても、労働者の健全な生活を守ることと、社会の活力を維持するためにあえて労働時間を抑制することは、まったく次元が違う話で、当然目指すべき労働時間の長さも異なります。

実際のところ、安倍首相の肝いりで始まった「働き方改革実現会議」で「36協定」の見直しを検討した結果、過労死を防ぐうえでは意味があるけれど、夫婦揃って家庭と仕事を両立するためには不十分という内容に留まり、中途半端で実効性に欠ける結論となっています。

「長時間労働の是正」を考えるにあたり、最初に「ニッポン一億総活躍プラン」と「36協定」という2つの観点があることを認識し、きちんと切り分ける必要があります。

「長時間労働の是正」が持つ2つの視点

  1. ニッポン一億総活躍プラン - 女性が活躍しやすい社会の実現
  2. 36協定 - 過労死を防ぎ健康的な生活を守る最低限の基準

長時間労働の是正には労働生産性の向上が必要だという風潮

次に、「長時間労働の是正」の方法については「労働生産性の改善こそが必要だ」という考え方が主流になっています。

日本生産性本部が、2016年12月に発表した『日米産業別労働生産性水準比較』という調査結果が、「直近の日本の労働生産性水準は、製造業で米国の7割(69.7%)、サービス産業で5割(49.9%)」という内容だったために、過重労働の解消のためにも働き手の多様性の確保のためにも、労働生産性の改善が必須だという論調に拍車をかけました。

ただし、長時間労働の是正のために労働生産性の向上を訴える者の多くは、「日本人はもっと短時間で多くのアプトプットを出すべきだ。そのためには、残業をゼロにすればよい」という主張をしていますが、これは「盗難事件を無くすためには、泥棒がいなくなればよい」と言っているに等しく、問題解決には繋がりません。

日本の労働生産性は本当に低いのか?

「長時間労働の是正のためには、労働生産性を向上すればよい」という一見すると分かりやすい考え方には、2つの問題点が含まれています。

一つ目は、「本当に日本の労働生産性は低いのか」という根本的な疑問です。

年間実就労時間の国際比較を行うと、日本の就労時間は1990年の2,100時間から2015年には1,700時間へと約19%減少していますが、米国は1,800時間で横ばいのままです。

「長時間労働が労働生産性を悪化させている」という主張に従うなら、実就労時間の削減を果たした日本と米国の生産性の差は、過去30年の間に縮まっているはずです。

ところが、日本生産性本部の『2016年版 労働生産性の国際比較』によると、米国が3位を維持し続けている一方で、日本は16位から22位へと順位を下げています。

この事実から、労働生産性の向上において、労働時間は重要な要素ではないということが明らかになります。

むしろ、約19%も就労時間を削減して「労働生産性を改善」したはずの日本のランキングを下落させた「何か他の要素」こそが、労働生産性を向上させるために重要だと言えます。

労働生産性を単純に国際比較することが無意味な理由

こうした状況を招いている原因は大きく分けて2つあります。

一つ目は、労働生産性を導き出す数式の持つ問題です。

労働生産性は、[付加価値額]÷[就労人数]=[一人当たりの付加価値額]で求められますが、会社単位ではなく国レベルで算出する場合、「失業率」が無視できない要素になります。

日本の失業率は、3%強ですが、労働生産性でランキング10位までに入っているフランスは10%台、ベルギーが8%台、米国が5%台、そして1位のルクセンブルクも5%台となっています。

これが何を意味するかと言うと、業績が悪化した企業がレイオフをどんどん行う国では就労者数が減少するので、失業率は悪化しますが、その代わりに労働生産性が上がるのです。

1,000万円の利益を97人で稼ぎ出せば、一人当たりの利益額は103,092円ですが、90人で稼ぎ出せは111,111円になります。これによって、労働生産性は7.8%程度上昇します。

また、数式における「就労人数」には、国外からの通勤者は含まれません。特にEU域内では国境にとらわれずに、自由に居住し勤労できる環境が整っているので、自国に居住しつつ他国で就労している労働者が120万人いるとみられています。(註1)

労働生産性ランキング1位のルクセンブルクの場合、隣国からの就労者の割合が71%にのぼる(註2)ので、その人数が分母の就労者数から除かれると、労働生産性は476%も上がることになります。

そして当然、就労者として不法就労者はカウントされません。米国や欧州では、この不法就労者の割合がかなり高く、米国の場合その数が1,200万人と推計(註3)されていますが、これは全就労者の8%程度に相当する高い水準です。

このように、労働生産性の数値を諸外国と単純に比較しても、ベースになる数値の均一性が必ずしも担保されていないため、一喜一憂したり単純に他国をベンチマークしたりすることに、それほど意味はありません。

労働生産性の向上が働き手の収入アップに繋がらないジレンマ

二つ目は、労働生産性向上のために従業員が「効率化」努力を行っても、給料アップに繋がるとは限らないという問題です。

日本では、企業の利潤を確保し増やすために、「効率」を高めることこそが重要だという考え方が、これまで支配的でした。そのために、大量生産、大量販売、シェア拡大、業務改善、物流改革・・・という経営管理手法を駆使することが、経営者に求められたのです。

より身近な例で考えてみると、あるスーパーでピーク時のレジの混雑を改善するために、レジの数を増やすのではなく、いまいるレジ打ち担当者のスキルアップをして、全員が従来の2倍のスピードで打てるようになったとすると、なにが起きるでしょうか。

売上が2倍になるかというと、そんなことは起こりません。なぜなら、お客さんの数が増えることはないからです。

したがって、効率化を利潤に結び付けるためには、レジ打ち担当者の半分近くをクビにして、人件費を削減する以外の方法はありません。

市場が成長している時代では、生産性の向上が売上増大という効果をもたらしますが、いまの日本のように人口減少が始まり市場が縮小している状況では、供給が需要を上回っているので、従業員が生産性を高める努力をしても給与に反映されることはなく、モチベーションアップは期待できません。

つまり、長時間労働の是正のためには、残業ゼロに向けて効率良い働き方を実現する必要があるとして、日本人をこれ以上頑張らせることには、そもそも無理があります。

議論の始点は「時間をお金に換える」働き方が限界を迎えている認識

確かに労働生産性の国際比較はあてになりませんが、「日本の労働生産性は高いのか」と問われると、決して「高い」とは言えません。分子である「付加価値額」が低いことに間違いはないからです。

ただし、私たちが「働き方」を考えるときに必要な視点は、「効率化」ではなく、「時間をお金に換える」というこれまでの働き方が限界を迎えているという認識からスタートする必要があるのです。

その証拠の1つとして、企業と社員の間で、働き方改革において何を最重要課題とするかについて大きなズレが生じている事実があります。

日経新聞の調査によると、企業側が重要視している項目として、「長時間労働の是正」「女性の活用」「子育て・介護と仕事の両立支援」が上位を占める一方で、「賃上げ」や「非正規雇用の処遇改善」「終身雇用の見直し」は差し迫った課題とは認識されていません。

また「働き方改革」を実現するにあたり、政府に対する期待をあげてもらった結果、企業側の1位は「社会保障など女性や若者が活躍しやすい環境整備」、「長時間労働の是正」が僅差で続いているので、企業側の意識は一貫しています。

ところが、正社員があげた期待項目は「賃上げ」が4割を超えてダントツの1位でした。2割程度で2位となった「長時間労働の是正」を引き離し、目先の実入りを重視する姿勢がくっきり浮かんでいます。

つまり、正社員の立場では、「長時間労働の是正」が行われるに越したことはないけれど、その結果「給料が横ばいのまま」とか「給料が下がる」ことに繋がるなら、歓迎していないことになります。

「働く以上は、より高い給料を得たい」と望むことは自然なことですが、収入を増やす方法は、大きく分けて2つしかありません。1つは働く時間を増やすことです。

1日8時間で十分な収入が得られないなら、先ずは残業をして、それでも足りなければ副業でもアルバイトでもするほかありません。しかし、1日は24時間しかないので、収入はいずれ頭打ちになります。

働く時間を増やせないなら、もう1つの方法としては、時間単位の労働価値(時給)を上げるしかありません。

時給を上げるためには、昨日と同じことをしていても不可能です。昨日までとは違うこと、言われた以上のことをやらなければなりません。つまり、スキルアップが必要なのです。

ところが、正社員として働いている限り、スキルアップは難しいという現実があります。

会社としては、社員の能力が向上して利益を上げてくれるに越したことはありませんが、ほとんどの場合スキルアップの目的は、会社の望むものと社員が収入を増やすためのものとでは一致しないことが多いのです。

例えば、アパレル販売をしている社員が、コピーライティングの勉強をしたいと申し出たら、会社は喜んで許可するでしょうか。

短期的に利益に結びつかない社員のスキルアップに対して、会社側は時給を上げたがらないでしょう。厳しい競争環境において、人件費をできるだけ抑えたいのが本音ですから。

さらに言えば、仮にスキルアップのための「勉強」をしたところで、それだけでは使いものにはなりません。

スポーツの世界と同じく、実施練習をしながらトライ&エラーを繰り返さなければ、実際の試合で使える本物の能力は身に付きませんが、そのような時間的余裕は正社員にはありません。

Googleのように勤務時間の2割は、直接の仕事と関係ないことに使うというルールが確立されている会社なら、自分の未来を耕すための時間を確保することは可能です。

でも、その他多くの会社で正社員として働いている以上、残業や休日出勤を断固排するような会社にとっては「好ましくない」社員に一時的になる覚悟や、あるいはハードルは高いかもしれませんが、正社員という立場を思い切って捨てるという決断が、高い付加価値を生み出す人材になるために必要です。

同時に、会社側としても「出る杭は打つ」が、これまでのサラリーマン渡世の常識でしたが、進退窮まったいまの日本企業では、ずば抜けて突出した人材を認めざるを得ないのが現状です。これからの時代を生き延びていくために、企業は卓越した技術や能力で利益をもたらす社員には、文句を言えないし、高い給料を支払わざるを得ないのです。

このように、働く側の立場で考えると、いままで通りの働き方を続けていては、働く時間を増やそうにも限度があり、同時にスキルアップにも限界があるわけです。

「時間をお金に換える」という正社員の働き方は、もはや賢い選択とは言えないと判断し、会社にとって都合のいいこれまでの社員であることを止めるという勇気を、社員側も持つことが、働き方改革の重要なポイントと言えます。

そして、企業側においては、労働生産性を高めようとするならば、経営者が安い人件費を確保することで安い原価を実現し薄利多売を目指すという「効率」に頼ったビジネスから脱却することに尽きます。

高い付加価値を生み出す人材を惹き付ける仕事と職場づくりが重要

そのためには、より高い付加価値を生み出すビジネスモデルを創造し、国内で少ないパイの奪い合いだけに終始するのではなく、企業規模の大小に関わらず世界に打って出るという覚悟が不可欠です。

しかし、付加価値の高いビジネスが、経営者一人の頭脳から生み出される可能性は低いでしょう。

したがって、真の働き方改革とは、会社側においては、現状に疑問を抱き、物事を批判的に捉え、問題解決のために自ら行動するような従来の基準に照らせば「疎ましい」人材を惹きつけるような理念を明確に打ち出すことからスタートします。

そのうえで、正社員や通勤というこれまでの働き方に拘らずに、有能な人材に効率的な仕事を求めるのではなく、高い付加価値を生み出す仕事を求め、それを可能とする環境を提供する努力が必要です。

また、働く側の立場では、やはり必ずしも正社員という身分拘らずに、自分のスキルアップのためには自ら投資を怠らず、強みを武器に複数の企業から報酬を得られるような自営自立的な働き方を目指すことが望ましいと思います。

そうなれば、日本の労働生産性の向上は、「効率化」の結果としてではなく「付加価値の向上」を通して達成されるはずです。

(註1) 「ルクセンブルク大公国 徹底解説」P18

(註2) 独立行政法人労働政策研究・研修機構「域内外の労働者の移動をめぐる共通ルールの設定・強化へ

(註3) みずほ銀行産業調査部「米国における外国人材活用の経済的効果について」P37

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