役に立たない倒産原因の分析結果

経営脳のトレーニング
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統計上示される倒産原因の分類は意味がない

過去10年間を見ると、毎年1万件前後の企業が倒産していますが、倒産原因は統計上いくつかに分類されています。中小企業庁はつぎの8つに分類しています。

  1. 販売不振
  2. 既往のしわ寄せ
  3. 放漫経営
  4. 過小資本
  5. 連鎖倒産
  6. 売掛金回収難
  7. 信頼性の低下

帝国データバンクは大きく5つに分類していますが、不況型倒産については、さらにタイプを4つに分けています。

  1. 不況型倒産
    1. 販売不振
    2. 輸出不振
    3. 売掛金回収難
    4. 業界不振
  2. 放漫経営
  3. 設備投資の失敗
  4. 経営計画の失敗
  5. その他の原因

国と帝国データバンクの分類に同一の項目が含まれているなど近似性がありますが、どういう理由で、倒産原因をこのように分類しているのか定かではありません。いずれにしても、この原因分析の結果は倒産防止には役立ちません。

なぜ役立たないのでしょう。大きく分けて2つの理由があります。一つ目は、MECEではないことです。MECEとは、Mutually Exclusive and Collectively Exhaustiveの頭文字をとった論理思考における基本原則で、その意味は「漏れなくダブりなく」です。

中小企業庁の倒産原因を見ると、「ダブリ」があることが分かります。例えば、「既往のしわ寄せ」の原因には「販売不振」や「売掛金回収難」が含まれているはずです。また、「過小資本」は1年で起きる状況ではなく「既往のしわ寄せ」の結果でしょう。そして、この8つの原因で「漏れなく」全体像を現しているとは到底考えられません。

二つ目は、原因分析といいながら、表出した病状をあげているだけで「真因」ではないことです。「販売不振」や「経営計画の失敗」は原因ではなく、結果に過ぎません。ここから、何かを学びとろうとしても、せいぜい「売上増加に努めよう」「実効性のある経営計画を立てよう」という裏返しの教訓しか得られませんが、そんなことは言われるまでもないことです。

しかし世の中には、こんな大ざっぱな倒産原因分析だけしかないわけではありません。著名な企業が倒産した後に出版される分析本を読むと、こと細かな情報がたくさん詰まっています。また、経済産業省は、「ベンチャー企業の経営危機データーベース」という情報をサイト内で公開しています。ここには、ベンチャー企業から聴き取りをした83の失敗・トラブルなどの事例について経緯・要因・教訓までをセットにして掲載しています。

ところが、一見すると精緻に事業の失敗原因を分析したと思えるような情報も、実際は役に立ちません。その証拠に、世の中から企業倒産や事業の失敗が減り続けてはいません。なぜでしょうか。その理由は、後付けの説明をしているだけで、核心を突いていないことがほとんどだからです。

それは、交通事故の原因分析をどんなにしても、事故の発生件数がそれほど減っていない状況にも似ています。ちなみに、交通事故原因の1位は「安全不確認」ですが、その対策は「“だろう”運転から”かもしれない“運転へ」というスローガンを唱えているだけです。

原因分析が核心を突けない理由

なぜ核心を突いた失敗の原因分析ができないのでしょうか。その理由を大きく分けて、つぎの3つに分類できます。

  1. 経営の因果関係が複雑であること
  2. 戦略自体の失敗か戦略遂行時の失敗かの判別が難しい
  3. 失敗から教訓を得なければならないというプレッシャーがもたらす安易な答

複雑な経営における因果関係

経営における因果関係は想像以上に複雑です。新規事業の起ち上げのためにM&Aをしたが失敗した場合、買収する企業の選定が悪かったのか、買収後の経営がまずかったのか、買収後のマネジメントの問題だとすると、責任者の能力の問題なのか、その人物をアサインした社長のミスなのか、あるいは想定外の市場環境の変化が災いしたのか、それ以前に新規事業の起ち上げ自体がミスジャッジだった、などなど考えられる可能性は無限にあります。

戦略自体の失敗か戦略遂行時の失敗かの見極めは難しい

戦略自体の失敗なのか、戦略そのものは良かったけれど遂行に問題があったのかを判別することは、案外と難しいことです。例えば、給与人事制度には常に流行廃りがあります。コンピテンシー、360度評価、成果主義、社内FA等々。

流行の手法に飛びついて導入を試みてるものの、運用がうまくいず、結果が出ないと、「外国から入ってきた人事制度は日本企業には合わない」と言って、もともとの考え方を否定してしまうことが多いのです。

しかし実際には、制度の趣旨を正しく理解して組織にインストールする遂行の部分で失敗していることが多いのです。こういう認識のまま、次に新しい流行の制度に飛びついても、遂行の部分で失敗することを繰り返すことになります。

失敗から教訓を得なければならないというプレッシャーがもたらす安易な答

私たちは学生時代から、「失敗してもいい。大切なのはそこから何を学ぶかだ」とか「謝るだけで済まさずに、同じことを繰り返さないために何を変えるかを言え」などと親や教師から教え諭されてきているため、「トラブルや失敗から何らかの教訓を得なければならない」という常識を強く刷り込まれています。

ビジネスの世界に入ってからも、「同じ失敗を二度とするな」と上司から厳しく言われるし、企業が同じような不祥事を繰り返すと、「前回の失敗から何も学んでいない」と糾弾されます。

もちろん、単純なミスは失敗から学ぶことで再発を防げることが多いため、失敗から教訓を得ること全てが無駄ではありません。

ところが、経営レベルの失敗は一直線で原因分析ができるほど単純ではありません。しかも、起点となった意思決定から結果が出るまでの間に何年もの歳月が流れることがあります。そうなると、ファクトベースで因果関係を解き明かそうにも、記憶の曖昧さや資料の不備などによって、パーツが不足するために困難を極めます。

その一方で、最近ではアカウンタビリティ(説明責任)を果たすことが強く求められるため、「何が原因かは分かりません」などと発言しようものなら、「懲りない」「傲慢だ」とバッシングを受けることになります。

そうした事態を避けたいがために、不明なことは分からないという勇気や想定外のでき事の発生により事態が複雑かつ制御不能になったと告白する正直さは影を潜め、相手の期待に応えるべく「世の中が納得する原因」「簡単で分かりやすい原因」を学んだことにして終わらせてしまいます。これが問題なのです。

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